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うわべだけのテクニック

前に紹介した刀鍛冶である「松田次泰」氏の言葉。
うーん、激しく同感。
技術と伝統とオリジナル。表現と人間と自然(環境)。
その答えがこの言葉に集約されていると思う。
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例えば、私がバイオリンを突然作ることになったとします。その時に本場イタリアの職人に技術を習いにいくのではダメなのです。それではイタリアの職人のテクニックの上に自分のテクニックを上塗りするだけになってしまう。つまり、先人の技術を見て盗むだけでは、その作品を超えることはできないということです。重要なのは、バイオリンが本来誰に必要とされて、どのような性能が求められているのかという原理原則を知ること。
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この記事が掲載されたページはこれ。
http://www.ahead-magazine.com/200308/special/page06.html

この松田刀匠、
もはや製法が失われてしまったため
現代では誰も再現できなかった鎌倉時代の刀(古刀と呼ぶ)を
再現してしまったお方。

ちなみに、この松田刀匠のお宅で行われた日本刀勉強会のメモはこちら
http://william.air-nifty.com/blog/2005/03/post_12.html

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Comments

うわー、これ、グサっときますね。
Irish Tradに憧れながらもそれができない、仮にできてもそれで終わりたくない僕にはほんと"今に来る"表現です。

いろいろと紹介したいひとさまの発言があるのだけど、場所が場所だからやめといて、Irishに関して書くと、
現在の日本では「Irish Musicは楽しむために作られ、伝承されてきた」ってのが定説化しています(特に批評家のあいだ)。

が、消費優先の末期資本主義状況でモノ、カネにまったく困ってないひとたち(当然僕含む)の「楽しみ」と、
Englandにひたすら搾取・侵略され、地獄のような現世に生きていたひとたちがそれでも作ろうとした「楽しみ」、
同じ語でも意味は全然違うよね。

同一性、ってのは憧れの対象であるし、その追求は必要でしょう。
が、最終的には自身の存在の単独性への認知に行き着く。
自分がそこに求めていたものはなんなのか?それは結局自分じゃないのか?、と。

その追求をやっているひと、そして自覚しているひとが
日本のアイリッシュ・シーン(?)に果たしてどれだけいるのか?
いても(僕が知る限り)2ー3名だな。

やっぱもうちと、自分のスタイルを作らねばな、と痛感している昨今です。
(voとelgはあるの、vlnだけアイデンティティーがないのよ、僕の場合)

って、Irishのグチ言ってもしょうがないのでやめますが、
「原理原則を知る」ってのはあくまで知識の話で、
実際問題、技術的に自分が実現できるのか?って問題もあるよね。
技術的な問題、ちうか自分の現実。
どこまでマネるのか、どこから創るのか。
その線引きってほんとムズかしいと思う。
公理ないよね。自分の体験しか学んでいくしかないと思う。

Posted by: うすい ジュンイチ | 2005.04.23 at 01:26 PM

>公理ないよね。自分の体験しか学んでいくしかないと思う。

うん、その通りだと思う。

>どこまでマネるのか、どこから創るのか。
その線引きってほんとムズかしいと思う。

でもこれは意外と簡単だと思うよ。
葛藤はあるかもしれないけど。

自分が音楽をやる事の、コンセプトとターゲットを決めてしまえばね。

Posted by: ウィリアム | 2005.04.24 at 12:34 AM

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