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アルバム「チャーリー・ウィリアム」へのコメント 『チャーリーウィリアムス賛歌』by 助川太郎

チャーリーウィリアムス賛歌

現代人が日常の中で見て見ぬふりをしている情けなさ、侘しさ、可笑しさ、理解不能な古代や異文化への違和感、そして死への恐怖。

そういう心の隅っこにあったものが、この音楽を聞くと驚くほどストレートの心に入り込んでくる。そして圧倒的に泣かされ、笑わされてしまう。そして、あっという間に終わってしまう。

これは今の時代に誰もが聞くべき音楽だと思う。特に耳の肥えた(それ故に飽和した)マニアックな音楽家と音楽ファンへ。そして、千の風になんてなりたくない、オンリーワンにもナンバーワンにもなれない、世の中のほとんどの人に。

チャーリー高橋という才能はソングライターの一つの極点でありブラックホールである。仙人のような生活でもなお失われない強烈な自意識を核に、膨大な情報量が圧縮された”うた”がほとんど無造作に転がっている。この人の曲を聞いた後では、オリジナル曲を作ろうという意欲は大抵の音楽家から一旦失われるべきだろう。

徳久ウィリアムは、チャーリー高橋の曲を歌う幾多の歌い手の中でも異彩を放つ。彼の本質は歌手ではなく、人体からあらゆる”音”を生み出そうとするヴォイスパフォーマーである。彼の特徴は普通に曲を歌う事が、ノイズ的なヴォイス即興と完全にフラットな価値観の中に置かれている事だ。それ故に、様々な声色を駆使して演じられる楽曲群は演者のベタベタした感情移入を逃れ、オブジェのようにただそこに置かれている、という印象を受ける。

個人的にはもう少し録音状態が(そして録音プロセスが)良ければ、このアルバムに収められたいくつかの曲は立派に商業ベースの作品として通用するだろうと惜しむ。しかしそういう雑多で猥雑な部分を取り除いてしまったら、この音楽の良さも失われてしまうのかもしれない。どのみち、CDからはこの音楽の本質は理解出来ないのだから。

文責 助川 太郎

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