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歌を、ちゃんと歌う。けど、ちゃんと歌わないようにすることが大事

個人レッスン終了

受講生の方のカラオケの十八番の曲を歌ってもらった

すると、サビは急に活き活きするのに、
それ以外の箇所はイマイチだった。
「歌ってない」感じがした。

ヒトは行為として消化したことを概念化する

そして概念化したものに頼る

だから、歌を歌う、という行為も、
過去の概念を頼りにそれをなぞる

面白いのは、音程が高い箇所など、
歌うのが難しい箇所は、
概念化したモノなど、頼るものが無いので、
今の身体でできることをやろうとする。

上記の生徒さんの場合は、それが功を奏してサビは「自然な歌」になった

だから、何となく処理できる箇所こそ、
自分の身体全部で「ちゃんと歌う」ことが必要になる
(『私は今まで「歌って」無かったことに気づきました』とは受講生の言葉)

しかし、今度はサビの部分で「上手く歌おう」という意識が働きはじめ、
音程がずれ始めた。

先天的な音痴でもない限り、
ヒトの音感は相当高い

でも、頑張って歌おうとしたり、
上手く歌おうとしたり、脱力を意識したりすると、
音程が上下し始める。

「ちゃんと歌おう」とすると、良くなる箇所と悪くなる箇所が出てくるのは
とても人間らしい。

しかし、それを悲観する必要はなく、
そういった前提があることを理解したうえで、
練習で浮かび上がった癖をちゃんと認識すれば良い。

認識できたことは改善のしようがあるので、
次の練習の課題にすれば良い。

「ちゃんと歌う」ためには、具体的に注意すべきポイントがある。
が、「ちゃんと歌う」を概念化すると、「うた」が消える。

今回も私にとっても気づきの多いレッスンだった。


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http://william.air-nifty.com/blog/2013/10/post-2364.html

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